歴史のオマケ:50

地蔵/3

江戸の物知り:10 今でも相撲好きは何をさて置きテレビの前で熱い声援を
送っているようだが、江戸時代の男達の熱狂ぶりは今と比べ物にならなかった。
巨体と巨体とが激しくぶつかり合うのは何とも壮絶で、見物客は手に汗握りながら
我を忘れて贔屓の力士の名を叫ぶ。場合によっては見物客同士の喧嘩沙汰になったほど。

今の相撲場は立派なものだが、江戸の頃は粗末なよしず張りだった。
とはいえ、2階席、3階席の桟敷きがある広大なもの。数千人の見物客が詰め掛けたというから、
その熱気も伺える。しかし見物席には屋根がなく、雨が降ると相撲はできなかった。
だから雨を考慮して相撲興行は晴天8日間と決められていた。

1860年からは晴天10日間と延長されたが、年2回興行の力士は
「一年を20日で暮すよい男」といわれるようになった。御多分に漏れず大名の中には
相撲好きが多かったようだ。それというのも、そもそも相撲とは武芸の一種だったから。
そこで相撲好きの大名は強い力士を見つけると、士分として召し抱え土俵で技を競わせていた。

1800年頃は谷風梶之助と小野川喜三郎が名勝負を見せ、相撲人気は絶頂期を迎えたほど。
当然この2人もお抱え力士だった。谷風は1750年陸奥国宮城郡霞目村(仙台市若林区)出身。
仙台藩の抱え力士で、身長188cm、体重161kgという巨漢。
20歳で江戸の本場所に登場し、いきなり西方大関になった。

当時は容姿や体格が優れていれば、初めから大関として登場し、人気を集めることができた。
しかし、その大関を維持するのは実力次第で谷風はその後、小結と前頭上位とを
上がったり下がったりしながら関脇に昇進し、22歳の時、実力で大関に返り咲いた。
一方の小野川は1758年近江国大津出身で大阪で活躍したのち、1779年江戸に出てきた。

この年、愛宕山の場所で10日間連勝したことから久留米藩にスカウトされ、抱え力士になった。
身長176cm、体重140kg。谷風よりは小柄だったが、足腰が柔らかく駆け引きのうまい
技能力士だった。1782年2月、御蔵前神社境内で行なわれた場所で
63連勝中の谷風を破り、人気が急上昇した。

お抱え力士は藩の名誉が掛かっているだけに負ける訳にはいかない。
力士が懸命になるのは当然のこと、各藩の武士達も土俵下に陣取って声援を送っていた。
当時はテレビ中継などがないため、観戦していた武士が直ぐさま駆け出し、大名に報告した。
中には「万一、負けたら、その方が土俵の上で腹を切れ」と、はっぱをかける大名もいたほど。

言われた藩士も切腹したくないので、鬼のような形相で土俵状の相手力士を
睨み付け威嚇する。力士達もそうした気配を察知して、四つに組んだまま動こうとしない。
こうなると、行司はやむなく「こん勝負預かり」とした。つまり勝負はなかったことにしたという訳。
大名は力士を召し抱えると、自分の紋所を入れた化粧回し与えたり、参勤交代に供をさせたりした。

豪商達も力士のスポンサーになったのだが、商人は店の宣伝のため力士に店先で
力仕事をさせたという。もっとも、後には商人が力士を抱えることは禁止された。
そうした一方、江戸後期には多色刷りの錦絵が発展したことから、役者絵や美人画などと共に
多くの人気力士が錦絵になり、女性の間にも相撲ファンが生まれた。

しかし、相撲というのは元々神事であり武芸とされていたので相撲見物は男だけに限られ、
女は直接見ることは許されなかった。そこで女達は見物を許されていた稽古相撲に群がったという。

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写真1
この地蔵が「歯痛地蔵」といって空襲によって顔の半分を失い、
体もまっぷたつに割れてしまってそれは見る影なかったのに
ありがたいことに、こうしてまた祀られることとなった。
(瑞穂区:龍泉寺
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写真2
このお寺には3種類の大きさの違う地蔵が仲良く並んでいた。
この地蔵が一番大きて、しかし一番控えめなヤツだった。
見るからに慈悲深そうで面白味に欠けた優等生君だった。
(瑞穂区:地蔵寺
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写真3
寺の入口にこれ見よがしに祠があって、
ワンワン寺の駄犬が私を見て吠えたてていた。
そんな中、こういう状態でこのお方は素知らぬ顔で座っていた。
(北区:成福寺
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写真4
今までに見た地蔵の中では郡を抜いてデカかった。
かといって御利益も大きいかというとそうでもないところが
面白いといったら面白いのかな。
(中区:清浄寺
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写真5
境内の石庭らしきところの干上がった池を思わせるところに
誰からも見られることなくひっそりと佇んでいた。
「今日は私が見たからね」と挨拶して写真を撮った。
(昭和区:太平寺
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写真6
名古屋一大きな本堂の横にこのお方はいた。
愛着を持とうにもこの容姿ではそうならないんではと思ってしまう。
しかし、どうでもいいけどこのバランスの悪さは特筆もんだな。
(東区:建中寺
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写真7
これこそ、誰にも見向きもされないところにひっそり固まっていた。
よく見ると各々のお顔が慈悲深い御顔立ちではないか。
東の果てのこの島国に光を与えてくださるというのか。
(熱田区:法持寺
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by tomhana0903 | 2006-07-10 07:13


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