歴史のオマケ:53

石仏/6

江戸の物知り:11 意地と度胸と男伊達、それが侠客だったが、番随院長兵衛から
幕末の清水の次郎長まで江戸時代には様々な侠客がいた。彼等は博徒であり、
社会の疎外者だったが、それでも芝居や小説などで魅力的に描かれるのは何より男らしさや
潔さがあったからだろう。むろん、徹底的に悪者として描かれることもあったが。

侠客といえば、刺青をする人が多かった。この刺青は「彫り物」のほか「入れ黒子」
「クリカラモンモン」ともいって、刺青の他には「文身」「黥」などの字をあてていた。
肌に文字や絵などを彫りつける刺青は元々は神仏への誓いの印だったといわれている。
そのため「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華教」という文字を彫ることが多く見られた。

それがやがて勇壮な図柄を彫り、侠気を飾る刺青になった。そうした一方、罪人の烙印として
入墨をすることも行なわれていた。庶民が窃盗罪を犯した場合、腕に2筋の入墨をした。
これが正式に定められてのは1720年のこと。他に額に入れることもあった。しかし、
侠客の入れる刺青は極めて装飾的なもので、美的な芸術品といってもよいほどだった。

今ではもう見かけなくなったが、20年前には銭湯で前身に見事な刺青を入れた
年配の男性を見たものだった。話を聞くと、鳶職だったとかで侠気や粋を売り物に
していたのだろう。江戸時代には侠客の他、鳶の者(火消し人足)、大工、駕篭かき、
船頭といった人達が刺青をしており、そう珍しいものではなかった。

江戸後期には「諸道聴耳世間猿」に書いてあるように、江戸の競伊達衆は刺青を
腕ばかりか身の内に竜の纏いついたところ、背中に眉間尺の首、尻こぶたに近江八景、
弘法大師がござらば般若教600巻でも彫って貰いかねぬ」と書いてあるように、
様々な図柄を全身に彫って、侠気を誇った。ところで、中国の4大奇書のひとつとされる
「水滸伝」が日本で初めて翻訳されたのが1757年のこと。

それ以来、伊達騒動や忠臣蔵などの世界に舞台を移し、換骨奪胎した翻案小説が
数多く出版されたという。その影響を受けて刺青の世界にも「水滸伝の一場面を彫ってみたい」
とする輩が現われてきた。あまりにも刺青が華やかになり、
刺青を入れる人々が多く現れるようになった。

1810年10月には「伊達心と思って総身に彫り物をする若者が多いが、
これは風紀を乱すものだ」として、刺青を禁じる町触れが出された。
しかし、いくら禁じてもそう簡単には刺青がなくなるものでもない。文政年間の川柳に
次のようなものがあることからも判る。その川柳とは「宙に飛ぶ 駕篭昇腕は 雲に竜」

その後「水滸伝」に材を取った刺青ブームがやってきた。その火付け役となったのは
歌川国芳だった。国芳は武者絵や風景画を得意としたが、1827年に「通俗水滸伝豪傑
108人のひとり」というシリーズを発表し、結果人気絵師になった。「水滸伝」に登場する
108人の豪傑を錦絵にした訳だが、これらの男達の全身には精巧な刺青が施されていた。

この異様な熱気と迫力に江戸っ子は喝采を送った。そして、この豪傑達の刺青は
江戸の伊達者にとってバイブルともいうように競って彫られた。またこれらの絵は
陶器や蒔絵、根付、祭礼の行灯などにも描かれたという。このため、
国芳のところへは豪傑達の刺青をするために下絵の注文が殺到したという。

「大まとい 九紋竜が 担ぎ出し」この川柳はまとい持ちがもろ肌脱いで九紋竜の
刺青を見せながら、大まといを担ぐ情景を詠んだもの。九紋竜は「水滸伝」の豪傑のひとり、
九紋竜史進のことで、これを写した刺青を入れていたということ。刺青のことを
クリカラ紋紋というのは倶利迦ら羅不動明王、すなわち黒竜を描くことが多かった。
これを九紋竜に重ね合わせて刺青の図柄にしたからだという。

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写真1
よく見ると即神仏みたいで無気味だ。
何、即神仏が判らないと。それはミイラみたいなものだ。
(中川区:須佐之男神社
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写真2
毘沙門天のような気もするがなんとも言えない。
アニメの主人公みたいで何か凛々しいぞ。
(昭和区:太平寺
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写真3
この寺は大きくもないし、有名でもなし、本堂も立派ではない。
しかし、流れる空気はかくのごとく一級品だ。
(中区:観聴寺
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写真4
この仏像、何か色っぽいというか、不埒なお姿をしてる。
たまにはこういう奴もいいのかな。
(昭和区:伊勝町界隈
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写真5
とある寺の境内の木の下にこの仏様はいた。
脇目も降らずに一心で念じていた。
(東区:情妙寺
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写真6
名もない寺の入口の横にこの福与かな仏は金ぴかの前掛けと帽子をかぶっていた。
しかし、ちっともありがたそうには見えなかった。
(昭和区:石仏町界隈
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写真7
道端の祠の中に訳の判らない小物に混じって彼等はいた。
顔も定かではなかったが何故か愛着が湧いた。
(東区:自然院
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by tomhana0903 | 2006-08-05 07:23


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