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達人への道:34

不思議な日本語:日本語が判るということを特別視してる
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《日本人の日本語に対する偏見:1》

日本語に対する日本人の考え方には興味深い側面がある。
それは外国人に日本語は判るはずがないという確信である。

《証言1》
ある日、東宝名人会の切符を取るつもりで日比谷の東宝へ行って、
切符売場の窓口に声を掛けた「金曜日のチケットが1枚欲しいんですが」
売り子の女の子が顎で答えた「隣の窓口でございます」
すぐ隣に並んでスカラ座映画館の切符売場がある。
私は少し声を大きくして抗議した「ここじゃないんですか、東宝名人会は」
売り子は顔を真っ赤にして「いや、映画のチケットかと思いました」を繰り返していた。
さて次の金曜日、予約した席で寄席を楽しんでいた。
1時間ぐらい経った時、私の隣にいたサラリーマン風の若い人が
外に出るために私の前を通ろうとした。その時のあいさつが
Please, excuse me! と英語だったのにはビックリした。
日本人が日本語でとばす日本的な冗談を笑ってさっきから聞いている私に
何の必要があって英語で話すのだろうか。私にはその気持ちが判らない。
私はビックリするだけでなく、ある種のいらだたしさを感じた。


売り子は外国人がちゃんとした日本語で話しているのに、隣の洋画のチケットを間違って買いに来たと思い込んでいる。外国人が日本語の寄席など聞いて判るはずがないという先入観が、現に目の前の外国人が立派な日本語を話しているという事実に対して彼女を盲目にしている。また、隣に座った若い男も外国人と見れば日本語が判るはずがないというステレオタイプの判断で行動したのだと思う。1時間も一緒に寄席を聞いていて、なおかつ英語で話し掛けてくる心理が判らないと外国人は書いておられるが、日本語を話すということは日本人の顔をした、日本人の行動様式を備えた人、つまり日本人にのみ期待できることで、そのような条件を少しでも欠いた人間の口から日本語が飛び出したりすると、私達普通の日本人は非常に違和感を覚え、心理的に不安定になるということに関係がある。

《証言2》
もし誰かが日本語を少し話せて、それを使おうと努力する時、
日本人はそれを喜ぶのが普通である。なぜなら、それはその外国人が日本が好きで、
日本に興味を抱いている印と取るからである。ところがもし流暢な会話ができると、
「変な外人」とか「気持ち悪い」とかいう言葉をしばしば聞かされることになる。
東京では外国人が何か言おうと口を開くと、まだ一言も言わぬ中に、
彼の言うことは自分達には判らないだろうと決めてしまうように思われる。
英語が飛び出して来るものと思っていて日本語の方にダイアルを合わせていない。
極端な例を示そう。
私の友人が交番の警官のところへ行って、ある店の場所を分かりやすい日本語で尋ねた。
警官は彼を見詰めてちょっと考えてから、英語で教えようとした。
半分ばかり喋って自分の英語が用をなさないことに気付くと、警官は友人に向かって英語で
「日本語をお話しになるのですか?」と尋ねた。

外国人が下手な日本語を使えば嬉しがるのに、達者な日本語を使うと気持ちが悪いと感じる日本人の心理を次のように解釈している。私達は幼児がヨチヨチ歩きを始めると「あんよは上手」と言って褒めそやす。だがもし、この子がスタスタと立派に歩き始めたなら、変だ気持ちが悪いと騒ぎ出すに違いない。幼児が大人のようにちゃんと歩けるはずがないからだ。外国人は日本語が完全にできるはずがないと私達は確信しているから、上手に日本語を使う外国人に出合うと気味が悪いのである。

《証言3》
外国人の日本語の会話より、日本人の文字に対する先入観はもっと深い。
例えば、私の専門は日本文学であると知っている人さえ名刺を渡す時、
「ああすいません。日本語をお読みになりませんでしょう」と謝る。
非常に読み難い名前であったらまだ判るが、山本や佐藤の字を見れば読めるはずである。
日本語を読める外国人はいうまでもごく少ないが、
日本文学をやるものなら、せめて中学生ぐらいの知識は持っているはずであろう。

この外国人は数少ない日本文学研究者であり、米国の日本文学の教授でもある。静かな口調で語っておられるが、それだけに日本語に関して子供扱いを受けられた時の気持ちは読むものに充分伝わってくる。日本の英文学の教授がイギリスに行って、よくそんな黒い目でシェイクスピアが読めますねというようなことを言われて平然としてられるだろうか。昭和47年、日本文化国際会議の「日本語と日本文化」でこんなことが起きた。ある外国人が発言の途中で難しい漢語(確か憂鬱だったと思う)を使われた時、司会の先生が恐らくその外国人の漢字に対する造詣の深さを聴衆に示そうという好感からだと思うが「今の漢字を黒板に書いてください」と頼んだ。もちろん中国語も達人のその外国人はすらすらと美しい字で憂鬱と大書された。すかさず聴衆一同は拍手喝采した。そこで発言を求めた日本人は「ただ今の拍手はその外国人を誉めたつもりかもしてないが、私の考えでは侮辱することになると思う。幼稚園の児童が難しい字を上手く書いた時に、よーくできましたと言うようなものであって、外国人に漢字は書けるはずがないという前提に立っているのではないか。だが私がアメリカの大学で黒板に難しいギリシャ系やラテン系の英語をいくら書いたところで、誰も拍手などしてくれたことがない。外国人が専門とする分野で日本語が判り、漢字が書けるのは当たり前で、それを特別珍しい希有なことだと受け止めることは失礼以外の何物でもない」と興奮しながら喋った。


《方言コラム:7…丹後弁》

「おみゃ〜ら〜、いぬるど〜」なんて言ってるか判る?
実家の方のスーパー行った時、後ろから聞こえた言葉。うちの子は判らんかった・・・(^▽^;)
大阪弁で言うと「あんたら、帰んで〜!」かな。
あたしの実家の方の方言なのよね・・・(^▽^;)
みんながみんなそう言うわけじゃないけど、あたしの親世代以上の人は結構きつかったりする。
イントネーションは大阪弁とはぜんぜんちがう。特に語尾がね。
「はし↑」(語尾が上がる)は、大阪では食べる時に使う「箸」のことやろぉ?
丹後では「橋」のことなのよ〜。
「あめ↑」は大阪では「雨」、丹後では「飴」とゆー意味になってしまう。
あたしも大阪に住んで9年だから、今はほとんど大阪弁になってきたんやけど
実家に帰るとついつい出ちゃうのよね。「おみゃ〜ら」とかは言わないけど(^▽^;)
でも田舎に帰って丹後弁を聞くとホッとするわ。
「あんばよ〜、気ぃつけにゃ〜よ〜」とかね(^O^)

ネットで検索したら、まずまずあったがや(名古屋弁だったらこんな感じになるのだが)。
「丹後弁講座」
「丹後弁研究」
「丹後弁研究室」
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これにて本日の学習は終了、続きは次回のお楽しみ。
by tomhana0903 | 2006-08-10 07:01


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