尾張の領主である信長が今、500名にも満たない兵士しか付き従う者がいないという。 にわかに信じられないことではあったが事実は事実、受け入れなければならないと思った。 今、兵士の数が少ないということは戦をする上において、どう考えても不利である。 しかし、よく考えるとこのことが絶好のチャンスに成りうるかも知れないと思えてきた。 兵士の数が少ないということは部隊全体の隠密行動や陽動作戦も取り易いし、 敵の直前まで接近しても気付かれることがないだろう。 また、力を合わせないと確実に殺されるという恐怖から、思わぬ力が発揮できるかもしれない。 いいことばかりではあるが、死と隣り合わせということには変わりはなかったが。 考えていても始まらないので、取り敢えず呼続村のはずれの笠寺観音に向かうことにした。 利家は自分より若い馬廻りや小姓達に命じて、兵士を3つの隊に分け、 それぞれ隊長、副隊長、騎馬隊を決め、競わすようにしながら急いで進軍するよう伝えた。 信長は兵士達の後を利家とわずかばかりの小姓等に守られて付き従っていった。 笠寺観音は熱田神宮から東南に6km行ったところにあり、西側にはすぐ伊勢湾が来ていた。 当時の兵士なら熱田から駆け足で30分も掛からなかったのではないだろうか。 利家は物見を放って辺りの様子を探らすと同時に、兵士達は境内で休ませることにした。 そんな時、放っておいた間者達がたった今起きたばかりの情報を持って、 笠寺観音の本堂で待つ利家の許に戻ってきていた。 沓掛城を出て直ぐ落馬してしまい、仕方なく兵士4人が持つ輿に乗り換えて出発した。 途中、沿道に集まって来た農民達が用意した戦勝祝いの踊りを受けながらの行軍だったし、 織田方の抵抗もここら辺りではないことが判っているので、思いのほか時間が掛かっている。 現在はここから東南に12km行ったところにある仁村山辺りで小休止しているとのこと。 そして、義元のいる本隊は約5千人。その中には500名ほどの鉄砲隊が付き従っている。 本隊以外の駿河衆は沓掛城にいるのか、どこかに別働隊として待機いるのか判らないとのこと。 元康の方はどうやら1/3ばかりの兵士達に昨夜屠った佐久間殿の旗印を付けさせ、 残りの2/3は今まで通り三河兵として着々と準備を進めている。 そして、元康を初め今いる三河衆はおよそ4千。しかし、鉄砲隊はほとんどいないとのこと。 現在は大高城の東4kmほどにある、有松という10軒にも満たない小さな集落で、 物見も出さずに一塊になって、義元の出方をジリジリと今が遅しと待っているとのこと。 利家は信長に従うカタチを取りながら集めた間者達の話を熱心に聞いていた。 そして、何が行われようとしているのか、大体の見当が付きつつあった。 それは元康の率いる三河衆の奇襲が刻一刻と近づいている。 そして、それは今始まっても可笑しくないほど切羽詰まっている。 それも、三河衆で作ったにわか尾張衆と三河衆とが今まさに戦っているように思わせて、 紛れながらも油断した隙に一気に義元の首を取る作戦だということも判ってきた。 ● 利家は直ぐさま決断し、一応信長の御裁可を仰いだ。 それによると、仁村山から大高城へのルートだが輿に乗った義元は田楽狭間か 桶狭間という雑木林が続く、ゆるやかで起伏の少ないところを通って来るに違いない。 それが証拠に元康も桶狭間が見渡せる有松に陣を構えているという。 そこで我等だが、直ぐここを出立して目立たぬよう周りに注意しながら間道や裏道を通り、 東南に10km程行ったところにある姥子山という小山に義元、元康双方に判らぬよう陣を進める。 結論は我々にとってこのチャンスをミスミス逃す手はない、ということだった。 事の重大さに気圧された訳でもないが、信長はまた「で、あるか。それで」と心細げに応えた。 ここで兵士に付き従ってきた馬廻りや小姓達に向かって利家は 「決戦の時が来たぞ、兵をまとめ直ぐ姥子山へ向け進軍しろ」と大声で伝えた。 「今差している旗差物は全て取って、熱田神宮から持って来た三河衆の旗差物を付けろ。 そして、旗の上から熱田のあという字を目立つように書いて、兵士達に区別させよ。 今からワシ等は全員、三河兵に成り済ますからよいか、この旗を差している者だけが見方だぞ。 いよいよ陣構えを伝える。まず、馬廻衆や小姓達をそれぞれ分隊長にする。 ということはここにいる20名前後の者達が分隊長になるということだ。 分隊長になった者は必ず熱田から持って来たあの字付きの旗を付けろ。 そして、各分隊長の下には部隊員である兵士を25名を限度にそれぞれ付ける。 手配は任せるがよいか、ここからが肝心なのだ。各分隊長は他の敵には目もくれず、 義元を屠ることだけに集中しろ。そして、各分隊員は自分の分隊長だけを助けて戦え。 万一他の味方が傷付いていても放っておけ。これからは分隊単位で何ごとも行動しろ。 織田家の将来とお前達の将来が掛かっておる。よいか、一発勝負の大勝負だ。心して掛かれ」 と、ここまで話してチラリ信長の顔を見た。 信長は優しい眼差しで、ひとり利家だけを見詰めていた。 ● 各分隊が固まったり、分散したりしながら目的の姥子山へと向かって発進した。 信長も同じく利家とわずかばかりの小姓等に守られて姥子山へ向かった。 時刻は午前11時を少し回った頃、あたかも真夏のような熱い日であった。 しばらくして、信長と彼の信頼する機動部隊は予定の姥子山に付いた。 ここは山とは名ばかりのちょっとした丘のようなところで、雑木林が至る所に顔を覗かしていた。 直ぐに物見を出して警戒に当たらせが、敵に気付かれたような気配は感じられなかった。 ちょうどその時、最後の知らせが利家の許に届いた。 それによると、義元の本隊は案の定、ここから800m程のところの桶狭間入口に到着した。 どうもここで祝儀に貰った肴類で昼飯を取るため、しばし小休止に入る模様。 部隊は武具を外して、各々釜を設けて部隊ごとに炊事の準備の真っ最中だという。 それを聞いた利家は思わず膝を叩きながら万感胸に迫る思いで 「殿、いよいよでございます。部隊を前進させます」と言って各分隊長に合図した。 ここに集まった織田方の諸兵は今まさにゲリラ兵に変貌しようといた。 音も立てず声も立てずにただジッとしていたと思ったら、各分隊長の命令があると同時に、 まるで森の主人であるサルのように群がりながら義元の陣営のある方に向かっていった。 信長は姥子山の頂きから義元本隊から立ちのぼる煙を眺めていた。 長閑な昼下がりという感じなのに、今から戦が始まろうとしていることが信じられないと思った。 ちょうどその頃、有松の集落で義元の接近を息を潜めて待っていた元康の部隊も 同じように桶狭間の方から立ちのぼる煙を見て、最後の時が来たとばかりに行動を開始した。 元康の部隊は有松の宿から南に走る間道沿いを南下し、権平谷から進路を東に取って、 神明廻間、セト山、樹木というところを通って義元の本隊が小休止している桶狭間の南側に出た。 偶然ではあるが、義元の本隊を元康の部隊と信長の部隊がそれぞれ南北から 挟み込むようなカタチで奇襲する体勢が整ったことになる。 元康の部隊から直接義元の本隊を見ることはできなかったが、 信長の部隊からは木々の隙間を通して義元の本隊1人ひとりを伺うことができた。 ちょうどその時、眩しいほどの閃光が走ったと思ったら近くの木に雷が落ちた。 それを合図に天気が瞬く間に急変し、大粒の激しい雨と共に唸るような風が吹き荒れていた。 義元の本隊では兵士達がいきなりの大雨に右往左往して、大声を上げる者、走り回る者など、 まさに鳥の巣を突いたような状態で、炊事当番は焚火を守ろうと必死だったし、 鉄砲隊は雨から火種を守ろうと銃から急いで銃口から火種を外していた。 ちょうどその時、南の丘の方から何か争う者達の雄叫びがしたと思ったら、 突然なだれ込んできた。時あたかも永禄3年5月19日、雨に煙った午後1時前のことだった。 ●● この話の続きは次回に譲ることとしよう。ではまた!
by tomhana0903
| 2006-08-30 06:53
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人生の御負け
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