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心の曼陀羅:30

桶狭間の戦い[九]

狭い窪地にあって、ところどころに生い茂った雑木林で見通しも悪く、
しかも思いのほか起伏が激しくて、蛸壺の中にいるようで視界も利かず、
当時の武将だったら絶対に戦をしないであろうそんな最悪の戦場・桶狭間で
同士打ちの戦いを余儀なくされた駿河衆と三河衆。
その証拠にお互いの足軽達はほとんど同じ格好、同じ武器を持って戦っていた。
彼等にとってはこの戦は何の利益ももたらさない戦であった。
当時、武士達は潜在的に死ぬのが当たり前、そして死を美化する意識が強かった。
そういう意識だからこそ、無意味な死や犬死といった死を極端に恐れていた。
また、何故武士が勇ましい死に方、名を留めるような死に方を望んでいたかと言うと、
現実問題として、そのような死に方をした者の子供らに、
積極的に領主が土地なり何なりを相続することを安堵していたことに他ならない。

しかし、駿河衆も三河衆もそれぞれの大将に問題があった。
駿河の義元という男は代々守護職を受け継いできた名門に生まれた単なるボンボンで、
いい言い方をすると、時代を超越していた男だったとも言えるが、
悪い言い方をすると、心は政治の中心地都の事ばかりで、
部下達の心情には全く関心がなく、心配事を思い図るといった機微も
持ち合わせていなかった。また、三河の元康は元康で問題があった。
今でこそ徳川家康の名で江戸幕府270年の礎を築いた男として結構人気があるようだが、
当時の元康は代々三河の国の守護代だった松平という家柄に生まれたことを鼻にかけ、
かといって今ある今川の属国という三河の現実は見ようともせず、
その問題一斉を部下に任せ、本人は一流好みをひけらかす鼻持ちならない男であった。

だから、こんな大将達のために身を粉にして働こうとする部下がいるはずもなく、
戦っていたのは大将一族に続く名門の武将達と恩顧をこうむった旗本衆、
今ある自分の領地に問題があってしかたなく領主に決済を求めている者達や
自分にはわずかばかりの将来があると思っているお人好しが戦っているだけだった。
また、元康にとってこの戦は長年の悲願である独立を勝ち取る大事な戦であったが、
一般の兵士達にとってこの戦は勝って領地が増える訳でも、
必ず恩賞にあり付けるというしろものではなかった。
そんな訳で熱心に戦っていたのはこちらも武将達とわずかばかりの旗本衆だけで、
ほとんどの足軽や無理矢理連れてこられたような武将達は積極的には戦っていなかった。
だから武将達のかけ声とは裏腹に、初めから模様眺め的に戦うふりをしている者が殆どだった。
とそこに、信長と彼が率いてきた500名にも満たない部隊が突撃してきたのであった。
彼等は桶狭間中に展開していた駿河衆と三河衆の戦いにはそれこそ目もくれずに、
電光石火の早業で義元のいるであろう本陣を目指して我先にと突入していった。
そこで誰もが思っていないようなことが起った。
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パニックを通り越して戦場は一種不思議な世界へと変わっていった。
尾張衆の強みは足軽から武将にいたるまで誰が敵かということが判っていたことだ。
それに引き換え、ほとんどの駿河衆と三河衆は疑心暗鬼になっていた。
まっ先に旗色を変えたのが、駿河衆三河衆双方の足軽達であった。
只でさえヘッピリ腰の彼等が、この期に及んでにわかに傍観者と様変わりしていった。
武将達が声を枯らして引き止めようとしても、次から次へと一塊になって戦場を離れていった。
この変化をいち早く知った元康のいる三河衆は今は攻めることよりも守ることとばかりに、
徳川の本陣だと思える旗印に馳せ参じるカタチでまとまり、鉄壁の陣形をカタチ作っていった。
それに引き換え、義元を守る本陣は駿河からの古参の武将とわずかばかりの旗本衆が残るだけで、
あとの大多数の者はこの戦が負け戦になることをうすうす感じていたのかもしれない。
だから、義元のことなんか気に止めずに我先にと駿河の国、駿府に引き返していった。



駿河衆と三河衆の一連の行動には目もくれず、尾張衆は義元を守る本陣に殺到した。
数の上では少ない尾張衆ではあったが、利家の絶妙な統率と足軽達に持たした
長槍の威力で義元の本陣はミルミル押しやられて、あと一息という状態だった。
それを見ていた信長の本隊も、それに釣られて前進していった。
ちょうどその時、迂闊にもひとりの美しき小姓が「殿この戦、我等織田の勝ち戦ですね」と、
それに返事するカタチで「うむ、そうだな、そうであるか」と意気揚々と応えていたのだが、
その何気なく喋った信長と小姓の話声が事態を一変させてしまった。
織田方の攻撃軍の最後尾で指揮を取っていた利家にもその声は届いていた。
「何! 黙れタアケ。そんなことをこんなところで言うヤツがおるか、アホ」と言いながら
利家が血相を変えて信長本陣に戻ろうとするのが早いか、
元康の本陣でそれを聞き付けた旗本衆や武将達の2代目で血気盛んな若侍が
我先にと手薄な信長本隊に向かって突撃してきた。

これには信長といえども胆を冷やした。
「ええい、何をしておる。こんな敵、早よう片付けたらええが」と、
いつになく周りの者達を叱咤激励した信長だったが、まさしく後の祭りであった。
次から次へと三河衆が手柄欲しさに死に物狂いで襲ってきた。
「お〜い、ここにどうやら信長がおるげな」と周りの者達に口々に伝えながら、
サッキまで意気消沈していた三河衆がいつの間にか息を吹き返していた。
それに気付いた利家は手勢を引き連れて信長の許へと駆け戻っていった。
鎧兜も付けていない利家の姿を見て、三河衆はこれこそ織田の殿に違いないと早合点して、
火に油を注いだように猛り狂って利家の方にも向かって来た。

そして、そこではこれぞまさしく死闘という名に相応しい命と命のやり取りが展開されていった。
あっと言う間に戦馴れしていない小姓達何人かが二目と見られぬ姿に変わり果てていた。
ある者は片腕を鎧の上から切り取られ、ドクドクと流れ落ちる血を見て
顔面蒼白で失神していたし、ある者は払われた刀で鼻をこそげ取られ、
振り向き様に首の頸動脈が通っているところを刺され、
思わずタジロク程の出血があったと思ったら、痙攣しながら死んでいった。
長槍で武装していた足軽達も多くが「どこからこんなに血が出てくるんだ」と言うくらい傷付き、
追い詰められたと思っていたら、次には蹴散らされていった。

初陣の喜びも何処吹く風、良之もあらぬ限りのチカラで信長を守っていたが、
いつしか次から次にと出てくる敵に成す術もなく、ただ立ち尽くすのみという感じだった。
利家も長年受けた恩顧に報いるためにも、ここは是が非でも負けられぬと思っていたが、
余りの敵の多さと、それに比べてどう考えてみても守っている兵隊は余りにも少なかったから、
「これは、ひょっとして」という不吉な予感が頭から離れなかった。
何にも増して本陣が破られるのももう時間の問題だということが誰の目にも明らかだった。
そんな時「やった、やった、信長の首を取っただら」と、三河衆が叫ぶ奇声が聞こえてきた。
信長が振り向くと、そこにはめったやたらと斬り刻まれた利家の姿があった。
が、それは倒れている男の格好が利家のそれだと何となく判ったからそう思っただけで、
倒れている男それ自体は誰が倒れているのか見当もつかないほど変わり果てていた。
「利家、利家、しっかりせい」と心の中で叫ぶことしか今の信長にはできなかった。

●●

その時、義元の本陣の方からも何やら歓声のようなものが聞こえてきたような気がした。
時あたかも、蝉の鳴声が耳につく午後3時半頃のことだった。
by tomhana0903 | 2006-09-05 06:45


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