歴史のオマケ:57

狛犬/20

神仏習合

神仏習合とは一言で言うと外国から伝わった仏教の仏と日本古来の八百万の神とを同一視する思想のこと。仏教が伝わると初めの内は日本固有の神との間に不調和が生じたが、間もなくこれらを調和する新しい思想があらわれた。

奈良時代には神宮寺(神社に付属した寺院)の建立が盛んになり、平安時代には神前で仏典を読経するようになり、「八幡大菩薩」のように八幡という神に仏の号である菩薩の称号が付けられ神と仏を同一視するようになった。

平安時代の後期になると、日本の神々はインドの仏が人々を救済するためにあらわした仮の姿であるという「本地垂迹説」が出現した。その考え方によると神は仏の化身であるとして、権現の称号が与えられた。

また、寺院の境内に神を祀る神社が建てられ、天台宗や真言宗では本地垂迹説を発展させて「山王一実神道」や「両部神道」が生まれた。平安末期から鎌倉時代にかけて本地垂迹に基づいた神像や権現像が造られるようになった。

更に南北朝の頃からはそれまでの垂迹説とは逆の、神を本地として仏を化身とする反本地垂迹説があらわれた。神を仏の上位とするこの垂迹説はますます盛んになり、吉田兼倶の唯一神道によって頂点に達した。

江戸時代には国学者の間に「神ながらの道」が叫ばれ、仏教色を排して純粋な神道を求める復古思想が台頭して垂迹説は影をひそめた。そして明治維新の神仏分離令によって神社から仏教的要素が排除されて、本地垂迹説は公には滅びた。

しかし、民衆の間には仏教の仏と日本古来の八百万の神とを同一視する思想は簡単にはなくなることもなく、今日でも寺院や神社において神仏習合の傾向が色濃く残っている。

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写真1
那古野神社の名もなき弊社にあった狛犬。
ふっくらとしたお顔立ちでまるで行儀のいい子犬みたいだ。
(中区那古野神社
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写真2
この狛犬も戦前に作られたいわゆる量産タイプの狛犬。
別段どうということもないシロモノ。
(千種区上野天満宮
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写真3
戦後生まれの生めよ増やせよ式の量産タイプがコレ。
隅から隅までコレと言った特長がないから恐れ入る。
(千種区八坂神社
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写真4
量産タイプが2つも続いたので、この狛犬
別段どうともないのによく見えてしまうから不思議だ。
(千種区丸山神社
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写真5
寺の方はナントもいかがわしい雰囲気プンプンなのだが、
狛犬の方はいたって正当派。
(千種区桃厳寺
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写真6
何がいいって、威厳があって落ち着いているところ。
私としては結構気に入っている。
(千種区桃厳寺
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写真7
2番と3番との中間の頃の量産タイプ。
何回見ても別にどうと言うシロモノではない。
(昭和区須佐之男神社
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by tomhana0903 | 2006-09-27 06:54


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