歴史のオマケ:60

神使/6

日本の寺院の宗派:2

天台宗

伝教大師最澄が「法華経」の教えや戒律、禅、密教を統合した教義を作り、比叡山を根本道場として日本天台宗を開いた。その後、弟子の円仁と円珍が入唐し天台密教(台密)の基礎を確立したが、円仁と円珍の門徒の間に確執が起り、比叡山を根拠地とする山門派(円仁派)と園城寺(三井寺)を根拠地とする寺門派(円珍派)に分裂した。

平安時代から鎌倉末にかけて法然や日蓮などのいわゆる鎌倉新仏教の祖師達が相次いで比叡山で学んで、新しい宗派を確立した。また一方で、僧兵の勢力が強まり、比叡山は政治的な権力抗争の渦中に置かれるようになった。戦国時代には織田信長の焼き討ちに遭い、比叡山を中心とする天台教学は壊滅的打撃を受けた。

しかし、江戸時代には天海が東叡山(寛永寺)や日光山を草創し、幕府の学問奨励によって教学研究も復活し、旧態を取り戻した。現在は比叡山延暦寺を総本山とする天台宗、園城寺を総本山とする天台寺門宗、西教寺を本山とする天台真盛宗、その他がある。

真言宗

弘法大師空海が入唐して密教を伝え、一宗派として独立した。天台宗の密教を台密というのに対して、真言密教を東密という。真言密教は大日如来を教主としてインド・中国へと進み、空海に伝えられたと説き、即身成仏(今生で生きたまま仏になること)を果たすことを究極の目標とする。

現世利益的な加持祈祷を行なう真言密教は朝廷や貴族を中心に大いに歓迎され、その後の日本仏教に多大な影響を及ぼした。平安時代末期には教義解釈の違いから旧来の古義真言宗と新説を唱える新義真言宗とに分裂した。

現在、新義真言宗は豊山派と智山派に分かれ、古義真言宗は高野山真言宗、真言宗山階派、真言宗醍醐寺派、真言宗御室派、真言宗東寺派などに分かれている。

浄土宗

源空(法然上人)が他力の念仏による極楽往生を説いて開いた宗派。貴賎を問わず急速に広まったために一時は念仏が禁止され、源空以下弟子達が死罪や流罪になったが、その後は武士や農民を中心に熱烈な支持を受けて発展した。

源空の没後、弟子達の教義解釈の違いにより鎮西派、西山派、長楽寺派、九品寺派、一念義派の5つの流派に分かれた。このうちが残って栄え、今日に至っている。今日では鎮西派を特に浄土宗と称し、知恩院を総本山、増上寺を大本山とする。また、西山派は西山禅林寺派、西山深草派などに分かれて、その法灯を継いでいる。

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写真1
名古屋人10人に聞いてもひとりも知らないであろうこんな神社の
それまた弊社の「六所稲荷」に4種類の狐がいたとは驚きだ。
まず長男から紹介しようにも、こんな顔だ。
(東区矢田六所神社
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写真2
次男は4人の中では一番個性的な顔をしている。
見てくれは悪いが、一番狐らしいのかもしれない。
(東区矢田六所神社
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写真3
三男は絵に描いたようなおどろおどろしい狐顔。
ここまで来ちゃうと何だか嫌みすら感じられる。
(東区矢田六所神社
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写真4
四男、こういう妙な顔をしているのが神社の狐らしくてマル。
こういう狐がいいですよ、こういう狐が。
(東区矢田六所神社
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写真5
六所稲荷の狐達よりもずっと大きくて金もかかっているのに、
ウンともスンとも感じない大狐であった。
(守山区生玉稲荷神社
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写真6
面白味に欠ける狐で何ともコメントのしようがない。
やっぱりパターン化されたものにロクなのはいない。
(守山区生玉稲荷神社
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写真7
何年やってるんだとお叱りを受けそうな写真で申し訳ない。
大きくはないが、これがまたいい味出しているんだよな。
(瑞穂区塩付通神明社
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by tomhana0903 | 2006-10-03 06:59


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