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心の曼陀羅:18

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夏の日の一瞬/後編

代わって御女中側。
御女中は全員で8人がこういう役にあった。
御女中にも段々あって、この廊下を通るのはこの4〜5人である。
その中に節という若くて美しい御女中がいた。
この御女中達に長吉のことが噂とまでいかなくても、
それぞれが冷やかし、物珍しさ、楽しみ、憧れ、と
そのようなものを各々別個に少しずつ持っているということは事実であった。
いずれにしても長吉にすれば月とスッポン、
全く別世界の高いところにいる人達で、
所詮、どうにもならないものであり、絵を見ているようなものであった。

けれども人間である以上、身分がどうであろうと胸騒ぎは止めどないものであった。
御女中衆にしても厳しいお行儀の中に、
明けても暮れても代わり映えのしないお役勤めであれば、
ふと、こういう瞬間に楽しみを持とうとするのも当然なことといえよう。
「ちょいと、今日も来てるかね」
ひとりの女中がそう言って立ち止まった。
「さっき、ちらっと見たように思いますが、居ませんね」
茶室からの帰りの廊下で御女中達がお庭を覗いてそうヒソヒソ話をしている。
気のせいか、こういう御女中の美しい白面のお顔が
何か詰まらそうな顔に眺められるのだった。

長吉が死角の松から下りてきて、額の汗を拭いながら頭の方へとやってきた。
「どうしたい」頭は彼を見て言った。
「ちょっと、手鋸を」
「そこいらにあるはずだ」
彼はそれを抜き取ると鋸をペコペコさせながら戻ろうとしたちょうどその時、
突然、廊下の方から「アレッ〜」という声と共に
長吉の足許に丸盆がひとつ転がってきた。
長吉はその盆の来た方を見た。
そこには御女中が2人、落としたものを拾っていた。
お座敷から盆を幾つも重ね持って廊下を帰りつつあった御女中のひとりが
庭の長吉をふと認めて、そちらに気を取られている瞬間、
反対から来ていた御女中とがぶつかり合ったのだった。
その拍子に持っていたお盆が崩れて1〜2枚が庭へと転がり、
長吉の足許へ転がってきたのだった。
お御女中はまっ白い夏足袋であり、庭へは出られなかった。
困っているところへ長吉がそれを拾って近寄ってきたのだった。
御女中は節という例の美人であった。

長吉はお盆の汚れを払うようにしながら丁寧に廊下の端にそれを置いた。
瞬間、御女中の目と彼の目がぴったり合った。
「すまなかったの」
にっこりとした御女中の声に長吉は無言であった。
目礼をして彼はそこを引き下がった。
2人共、むろんこんなに近くで共に噂の人を見たのは初めてだった。
双方、胸がときめいたのは言うまでもない。
「うまく転げやがったな神様、とんだおいたをなさるわい」
この様子を見ていた頭が口の中でそう言っておもしろくなさそうな顔をした。

今、庭には葮花の花盛りである。
かの御女中の顔が暖かくもその花のように、白く美しく夢のように浮かんでみえた。
この夏の日の一瞬は、
あるいは御女中にも、また長吉にも長く心に残ることになるのかもしれない。
庭先に祀ってある小さな稲荷神社の赤い鳥居が何故か眩しかった。
鋏の音に混じって、白い夏の花を揺するかのように
お城からの昼を知らせる大太鼓の音がどどん、どどん、と響き始めた。
# by tomhana0903 | 2010-03-13 14:45