GOB備忘録:41

ライブと私の備忘録[30]


どういう訳か私にとってジョ−・コッカ−っていう人は
特別な存在というよりは極々自然に入ってきたシンガーのひとりのような気がする。
彼のことは何故か早い時期から知っていたし、
彼の歌も今言われているような吠える闘魂というイメージはその頃持っていなかった。
私はというと、彼の歌ったボブ・ディランの「I Shall Be Released」という曲を
ひとりで練習していた。当然、ボブ・ディラン本人のことは何も知らない私だったが。
彼のことを意識し始めたのは「Mad Dogs & English Men」という
彼を世に知らしめたライブアルバムを聞いてからではなく、
(どちらかというと、このアルバムは敬遠してたというか、丸っとパスしていた)
「I Can Stand a Little Rain」という
どちらかというと渋めのアルバムを聞いてからだった。
ロックぽいというよりはシンガーソングライター系の音作りをしたアルバムで、
当然日本ではコレッポッチもヒットしなかったし、見向きもされなかった。
しかし、このアルバムでRanndy Newman、Billy Preston、Harry Nilssonなど、
私が深く係わっていくことになる貴重なアーティスト達の歌を歌っていた。
これ以降、ヒットや人気に影響されずに私の気に入った人だけを見続けていくという
今の私を形造っている(天の邪鬼的性格も含めて)音楽的思考がここから始まった。
そういう意味では命の恩人的な出合いだと言うべきなのかな。

ジョ−・コッカ−[Joe Cocker]

ネットで調べてみると意外にもあった。曰く「60年代に今や名作として知られる『ジョー・コッカー!』や『マッド・ドックス・アンド・イングリッシュメン』などのアルバムをヒットさせたジョー・コッカーは70年代から90年代にかけて浮き沈みの激しいキャリアを送ってきた。主な原因はアルコール癖が彼の声に与えた悪影響、そして曲自体の魅力不足である。しかし、これらのスランプがあったにも関わらずジョーは最高のロックの表現者のひとりとしての地位を獲得している。彼のトレードマークともいえる独特の手ぶり身ぶりは最初こそクスクス笑いを誘ったが、次第に彼のステージでのパフォーマンスにとって欠かざる目玉となった。ジョーは火のついた男のようにのたうち回りながら、歌の魂に取り付かれたような情熱をふりまきながら歌った。ビートルズの「With A Little Help From My Friend」をカバーし、ゴスペル風の軽快な作品へと作りかえることができたのは、いわばロックンロール史上注目に値する出来事のひとつと言えるだろう。タバコをひと箱吸ったのに煙を吐き出さなかったかのように聴こえる声ではあるが、コッカーの肺活量を侮るべからず。彼はただ歌を歌うだけじゃなく、パワフルに、そしてエネルギッシュに表現するのだ」といったもの。

他にはこんなものあった。曰く「ジョー・コッカーが知られるきっかけになった最初のヒットは彼自身の持ち歌ではなく、ビートルズの「With A Little Help From My Friend」のカバーたったように思う。これが68年。その後に、Mad Dogs & English Menとしてアメリカツアーを行うが、健康は損なうわ、お金は底をつくくわで悲惨な状況になるが、何とか復帰するものの、アルバム作りよりも小さなクラブでのライブを続ける毎日が続いた。80年代が青春真っ只中の私達の世代ではジョー・コッカーといえばジェニファー・ウォーンズとのデュエット曲「愛と青春の旅だち」を思い浮かべるでしょう。これでもか!というほどビルボード・チャートNO1の座を長期維持していたのだから。それから、あまりに有名なラブ・バラード「You Are So Beautiful」など。上記の2曲とももちろん大好きなのですが、私がジョーのカッコよさを知ったのは「あの娘のレター」というロック・ナンバー。

ジョーのステージは倒れかけ、記憶をなくしかけたまま続く。ウィスキーボトルを片手に。つぶれにつぶれたガラガラ声を搾り出し、両腕は自分の体をひっかきまわし、どこか記憶の果てに行きたがるかのような、漫才で言えば人生幸朗師匠の動きに似ている。曲が終わると、ウィスキーを持ったままぶっ倒れる…。アル中おっさんがそのままステージに出てきてるような人であるが、日本でもそういう開放的なライブをしたら面白いのに、とよく思います。ジョーを一躍有名にしたライブ・アルバムです。このライブ・ツアーは総勢43名というオールスター・メンバーのバンドを組織し、57日間で65のステージを行うという信じられないようなツアーでした。コカイン、ヘロインが蔓延し毎日がハードなパーティ状態だったそうです。

アルバムの内容はジャケット同様、パワフルでエネルギッシュ。ジョー・コッカーをはじめレオン・ラッセル、ボビー・キーズ(サックス)らのバンドそしてコーラスなど息もピッタリ。その中にあってリタ・クーリッジの唄う「スーパー・スター」は一服の清涼剤です。2枚組ながら最後まで一気に聴かせるアルバムであり、できれば気兼ねなく大音量で聴きたいもの。ところで、残念ながらこのツアーの途中からレオン・ラッセルが中心的で横暴な態度をとるようになり、ジョー・コッカーとの間には深い溝ができるようになったといいます。92年あるインタビューでジョーが語っています。「出会いの時から兄貴のような存在でその才能を認めていたんだ。でも彼はあのツアーの中でステージを乗っ取って奴隷監督のように振る舞うようになってしまった。結局気まずい終わり方をしてしまって残念だったね」と。

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With a Little Help from My Friends(1969年)
「With a Little Help from My Friends」
ビートルズの歌だから聞けば「ああ、あの歌ね」と納得するはず。
しかし、曲の感じはマルっと違うが。
「I Shall Be Released」
私はこの歌でこの人の存在を知った。
ボブ・ディランのボの字も知らない時に。
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Mad Dogs & Englishmen(1970年)
「Cry Me a River」
昔、この曲をピアノで弾きたいという女子高がいた。
今では考えられないことだが、時代だったのかな。
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Jamaica Say You Will(1975年)
「Jamaica, Say You Will」
この頃が一番油が乗っていた頃かもしれない。
このあと彼は、アル中になっていく。
「Jack-A-Diamonds」
個人的にはこういう感じが好きだ。
野暮な男のたわ言という感じがして好きなんだが。
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Luxury You Can Afford(1978年)
「Fun Time」
この歌を取り上げなくなって久しい。
昔、この歌は研ちゃんが歌っていたんだが知らないだろうな。
「Lady Put the Light Out」
話は変わるが、スリー・ドック・ナイトのひとりも歌ってたはず。
この歌、歌いたかったが果たせぬ夢となってしまった。
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One Night of Sin(1989年)
「Fever」
我がGOBでもこの歌は研ちゃんが歌っているが、
結局は似て非なるものという感じがする。
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No Ordinary World(2000年)
「No Ordinary World」
金髪女とデュエットで人気が出たからなのか、
こんなオウギョウな歌は彼には似合わない。
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Gold(2006年)
「Unchain My Heart」
この曲、研ちゃんの18番といってもいいほどの出来。
この曲からアレンジを加えてGOBの曲という感じに仕上がっている。
「You Are So Beautiful」
この歌を聞くと、70年代のことが走馬灯のように甦ってくる。
あの頃は日本も私も幸せだった。
「I Can Stand a Little Rain」
この曲が入ったアルバム「Joe Cocker」を聞いて、
私の進む道が決まったと言っても過言ではない。


昔、今池のユッカでいつものようにライブをしていると
見慣れた男が入ってきた。上田正樹だった。
物静かに聞いていると思ったら帰りがけに
「最後の歌、何ていう曲」と聞いてくるではないか。
「こいつ、こんな歌も知らんのか」と心の中では思いっきりバカにしながら
「ジョ−・コッカ−のYou Are So Beautifulだよ」と答えてやった。
そして、しばらくして正樹のニューアルバムを聞いてまたまた吃驚した。
堂々と「You Are So Beautiful」という曲が入っていたから。何タルチヤである。
この続きは次回へ

(万一、ここに用意したサンプル曲をあなたのPCで聞けない場合は
あなたのPCに合ったWindows Media Playerをインスツールすると聞けます)

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by tomhana0903 | 2006-07-31 06:58


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