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名古屋巡礼記:82

駅裏巡礼/後編

いよいよ、クライマックスの聖地に突入する時が来た。
光明寺の道を挟んで南側に広がる一種独特の街が全国有数の遊郭街だった大門。
今でもその名残が感じられ、不思議な空気が漂っている。
その遊郭街の北の外れに私は立ったのだ。
しばらく行くとこれまた地図に記載のない神社が現れた。
「スサノオ神社」という名前で、地図に載せなくてもいいという神社ではない。
レッキとした由緒正しき神社が地図に載っていないとはナンタルことか。
しかし、境内を見回してみると何だか変なものが隅の方にあった。
ハッキリとは判らなかったが、どうも例祭か何かの時に集まって来た信者に向けて、
何かを販売する売店のようなものじゃないかとアタリを付けた。
これが木製の立派なシロモノで、神社のこれに賭ける気迫のようなものが感じられた。
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写真:神社の右奥にある建物も関係あると思うんだが定かではない。

巡礼の途中に、へんな居酒屋にぶち当たった。
繁華街からちょっと離れたトコロにポツンとしてあった。
これがまた、ひとこと「凄い!」という言葉しか思い付かない店なのだ。
店の名前「ゆり香」というのはゴクゴク普通なのだが、
店を取り巻く色使いにタダモノではない片鱗を十二分に感じてしまったのだ。
鮮やかというより毒々しい緑が壁中を覆い、無国籍なテイストを醸し出しながら、
ちゃんと定番居酒屋の決まりごとである赤い提灯は忘れていない。
このシチュエーション、一度見たら忘れられない感じで深く心に刺さった。
そうは言うものの、最終的な私の感想は「この店、病んでいる」という冷静な判断。
少なくとも一生に一度も入ることは絶対にない、そういう店だった。
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写真:居酒屋ゆり香の全景、思い知ったか。

南へ向かって歩いていくと、朝から活気のある生活感溢れる通りが続き、
地元の大手スーパーであるユニー中村店も見えてくる。
立体駐車場完備の大きなSCで、近所の主婦達が朝から大勢買物に訪れていたが、
よく見ると大衆の殿堂ユニーの右隣そしてナント向かいも、
隠しようのない大人の殿堂、燦然と輝くソープランドがあるではないか。
目を凝らすと「ブラジル」とか「インペリアル福岡」というのはまだしも、
「アラビアンナイト」とか「令女プール」といったそれらしい名前が
毒々しい色使いと書体で街中イタルトコロに顔を出していた。
いくらこの街がかつて遊郭街だったからとはいえ、
この光景には部外者で、かつ初めて訪れた私としても到底納得できるものではなかった。
そう言いつつも、買物を終えた主婦が買物袋を抱えて自転車に乗って
ソープランドの前をゴクゴク普通に通り過ぎてゆく毎日。
すぐ近くには笹島保育園、日赤愛知短大といった健全な施設もある。
日常の中に潜む異常なヒトトキという感じで、ただただ新鮮なトコロだった。
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写真:この裏寂れた街の中にソープランドが点在している。

また、この街には1994年に名古屋市都市景観重要建築物の指定を受けた、
「長寿庵」「旧松岡旅館」「料亭稲本」という遊郭が当時のままで残っている。

◆長寿庵:かつて2軒続きだった建物のうち、その南側のみが修復されて現存している。1階の窓には連子格子が見られ、2階には高欄があり楼閣建築の特徴がよく出ている。また1階入口には当時を偲ばせる美人画が掲げられており、かつての遊郭街を思い起こさせてくれる。入口には「笹島(54)××××」という、ここの市内局番がまだ2ケタだったころの表札が貼ってあったりと、昔と変わることなく今もそこに歴史が残ってる。

◆料亭稲本:こちらは江戸末期の爛熟した文化を背景にした異国情緒たっぷりの造りで、門は反りの強い中国風となっている。料亭は今でも営業しているみたいで、江戸時代の建物にて庭園を見ながら食事をすることができる。また、お座敷だけでなくテーブル席もあるとのこと。お座敷とテーブルではメニューが違い、お座敷でのコースは6000円と8000円の2コースがあるという。たまには江戸時代にタイムスリップして食事をするのもいいかもしれない。
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写真:いかにもという長寿庵の全景。

大門(オオモン)の交差点から200m行ったところに「中村天神社」がある。
ところで、オオモンという地名はここにだけあるのではなく、
一般的にオオモンとは遊郭の正面入口のことを指した言葉と言われている。
遊郭言葉をそのまま正式な地名にすることに抵抗があったのか、
ここら辺りの地名は大門町と書いてダイモンチョウと言うのだそうだ。
変なことで脱線してしまったが、ここ中村天神社は知る人ぞ知るという神社。
こじんまりとした拝殿、弊社もちゃんと備わっているのだが、
鎮守の森がないせいか、今ひとつ落ち着けるという感じがしなかった。
やっぱり暗いトコロにロウソクの灯りというのが神社の定番。
ここも、もう少し暗かったら神社らしい雰囲気が出ていたのかもしれない。
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写真:中村天神社はこんな感じ。

今回の巡礼の最後を飾るトコロがここから約500m西へ行ったトコロにある
その名もズバリ「中村八幡社」という神社なのだ。
行く途中に「仲井筋緑道」という名の緑道があったが、これは昔の川の名残り。
川の流れを埋めた土管の中を通して地上からは見えなくしたもの。
だから、緑道と言っても植物の緑は一切なくて、コンクリートで覆われた道のような、
かと言って車やバイクは通れなくて、ただ凸凹した歩道のような道。
中村八幡社はエアーポケットのようなトコロにひっそりと佇んでいた。
思いのほか広い境内、鎮守の森もそれなりにあった。
難を言うと、拝殿前にいるはずの狛犬がいなかったこと。弊社がほとんどなかったこと。
言い出せば切りがないので止めにしとくが、まずまずの神社ではないのかな。
ここで、今日持参した賽銭用の5円玉がちょうど底を突いた。
満願成就ということにしておこうかな。
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写真:中村八幡社はこんな感じ。

帰りは「中村日赤」駅から帰ることにした。
しかしこの駅、どうしてこうなったのか判らないが、出入口はわずかに2つだけで、
中村日赤側の出入口には何の細工もなくただ階段があるだけ。
鳥居通を挟んだ向こう側にエレベーターが設置されているようだが、
どう考えても納得できない。何か不純なものすら感じてしまう。
これでは病人は使わなくてもいいと言っているようなもの、猛省を促したい。
余談だが、駅の真ん前に「清正幼稚園」という名の幼稚園があった。
さすが豊臣秀吉と加藤清正の地元のことはある。
他に豊臣幼稚園、豊臣小学校、千成保育園、千成小学校、太閤通
日吉保育園、日吉小学校、日吉公園、日吉派出所と枚挙にいとまがない。
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写真:正式名称を「名古屋第一赤十字病院」という。

[現場の確認]
スサノオ神社
中村天神社
中村八幡社
名古屋第一赤十字病院
地下鉄「日赤」駅

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オマケの写真:この街を象徴するかのように寂れた街の片隅に
「毎日旅館」という、ありそでなさそな変な名前の旅館があった
by tomhana0903 | 2006-10-23 06:53


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